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いなか日記。35『福島会津への旅②_相方誕生日。』

ゆうです^^

先日、行ってきた会津日帰り旅行の続きです。


なぜ会津だったかというと、

相方になにがしたいか聞いたところ、


「メロンが食べたい!!」

とのことで、いろいろ探したところ

会津でメロンの食べ放題をしていることを発見したのでした^^

ーーーー

さざえ堂観光を終え、いよいよメインの

「メロン食べ放題」へ!

さざえ堂から車で走ること20分。
「観光園久ちゃん」に到着♪

ハウスの中で切りたてのメロンを思う存分食べられる。
メロンが食べられるのは7月中旬から7月末頃までの期間限定だそう!
(人気ですぐになくなってしまうそうです。)

実は食べ放題は10人以上から。
僕らはハーフカットメロン(500円)を自主的に食べ放題(その都度買う)したのでした♪

相方はご満悦の様子で終始にんまりしていた。
喜んでくれてなにより^^

赤果肉メロンと青果肉メロンがあった。
イメージ的に赤のほうが甘いのかなーと思ったら、
青のほうが深い甘みがあっておいしかった!

生産者のご夫婦といろいろ話をすることができて、妊娠トークで相方と奥さんと盛り上がりとても楽しかった^^

若そうに見えた奥さんにはなんと5人のお子さんがいるそうで上は20歳で下は2歳!
最初の子はなんと1時間で生まれたんだとか!(ご主人間に合わず)

ごちそうさまでした^^

会津若松市北会津町にある久ちゃんはとてものどかなところにありました。

トルコキキョウも作っているそうで販売していました。
かわいい形のピンクの花弁がとてもきれい^^

ごちそうさまでした。パート2(相方おかわり)

シーズンオフのいちごのハウス。
1月~5月はイチゴ。6月はトルコキキョウ。7月はメロン。8月はストック(花)。
そしてこれから秋はサクランボを始めるんだとか!
イチゴは1月が一番おいしいそうです^^

なんとメロンのハウスを見学させてもらいました!

ウリ科キュウリ属というだけあって キュウリの花に良く似ていた。

そしてなんと妊娠&誕生日祝いということでプレゼントとして
トルコキキョウとメロンを頂いちゃいました!
(さらに実は、団体さんの食べ放題で余ったメロンも
 「好きなだけ食べていいよ♪」とリアル食べ放題させてもらいました!)

恐縮すぎるほどのお二人の暖かさに

「生まれたら子供と一緒にまた来ます!」

と約束していました。

心が満たされ、最高の誕生日祝いになりました^^

ーーーー

メロンでお腹いっぱいになったのですが、

会津と言えば

「馬刺し!」

ということで最後に馬刺しを食べに^^

(行く途中に、こないだお引渡ししたお宅の前を通って相方に紹介。
 木の外壁&植栽が良い感じになっていた。すだれもとても似合っていた。)

「会津ドライブイン」さん。

「サービスです♪」と出てきた桜肉の煮付け。
すごい量。これに白米だけでも十分満足できた。

馬刺し定食!
柔らかくておいしかったー^^

ーーーー

帰りは天気がよかったので新潟市から海岸線で柏崎まで帰ってきました。

出雲崎「天領の里」の夕日。

心もお腹も満たされる最高の誕生日旅行となりました♪

ななさん誕生日おめでとう^^

今年も一年よろしくね。

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いなか日記。34『福島会津への旅①_会津さざえ堂。』

ゆうです^^

先日、相方の誕生日祝いも兼ねて福島県の会津へ日帰り旅行に行ってきました。

二人とも会津を観光するのは初めてだったのですが、

なぜ会津だったかは、また追って次回のブログでお話しようと思います^^

ーーーー

まず向かったのは、

僕がその存在を知ってから早10年以上。

いつかは行きたいと思っていた

「会津さざえ堂」へ。

細い参道を進む。

子育て地蔵尊なる社が。
とりあえずお参りする。よだれかけが奉納されていた。

そしていよいよ、階段を登った先には、、、

さざえ堂到着ー!
本でその存在を知ってから10年以上。ちょっと感慨深い。

みなさんはさざえ堂を知っていますか?
摩訶不思議。入ると一度も人とすれ違うことがなく出てこれるという不思議堂♪

その理由は一方通行の通路がらせん状に絡まっていて、
上下階で上りと下りが分かれているためなんです。
「さざえ堂」とはよく言ったものですね^^

ーーーー(さざえ堂HPより)ーーーー
会津さざえ堂は、1796年福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5メートル、六角三層のお堂です。
その独特な2重らせんのスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるという大変合理的なお堂です。
また、世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成7年に国重要文化財に指定されました。
ーーーーーーーー

いざ探検!
ほかの人の声はするけど本当に人に会わない。

頂上はこんな感じ。
本当に六角形なんだと感心する。六角の折り上げ天井はさすがに初めて見た。

帰りもこんな感じ。
ところどころにお賽銭入れがあり、それらは内部の滑り台で一階に集められるんだとか!

柱も六角形だった!

向かいには良い感じのお土産屋さんが。

お土産屋さんからの景色。
会津若松の街を一望できる。遠くに鶴ヶ城も見えた。

さざえ堂の奥には 「白虎隊士自刃の地」が。

「会津藩殉難烈婦の碑」
戊辰戦争で自刃した婦女子230余名の霊が弔われている。

「白虎隊士の墓」
 この地で自刃した白虎隊19名が埋葬されている。

欧風の碑があるなーと思ったら
なんでも白虎隊の精神に感銘を受けたローマ市から贈られた碑でした。

さざえ堂はとても不思議で楽しく、めずらしい体験ができるので、
福島観光にはおすすめですよ^^
二重螺旋構造の建物は世界で唯一だそうです!

ふもとの神社。
太い杉の木は「戸隠神社」を思い出させる。

ーーーー

さてさて、

さざえ堂観光の次は、本日のメインイベント

「メロン食べ放題」へ!

次回へ続きます。

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『中越沖地震から10年』家を建てる上で最も大切なこと。

ゆうです。

先日の7/16日で新潟を襲った「中越沖地震」から丸10年が経ちました。

夏の柏崎を彩る「ぎおん柏崎まつり大花火大会」は毎年7/24-26。
10年前の2007年は地震の影響で花火を打ち上げることができなかった。

ーーーー

2007年当時、僕は大学4年生でした。

群馬にいたのですが、その日はたまたま新潟に帰る用事があり、
地震が起きた10時13分には、小千谷市のあたりを高速バスで移動している最中でした。
(移動中+サスペンションがよかった?ため、揺れにはほとんど気づかなかった)

高速道路が通行止めになり、その後は下道を通って
なんとか新潟市まで行けたのを覚えています。

ーーーー

後日、柏崎の街中を大学生だった相方とともに車で通った。

柏崎の本町通。
この10年毎年少しずつ街が様変わりしてきた。

中越沖地震の最大震度は6強。
2004年に中越地震が起きてからまだ3年しか経っていなかった。

同日の15時37分には最大深度6弱の余震が来た。

震源は海底だったが、柏崎の海岸に到達した津波の観測は1mだった。

柏崎市内では約4万2600戸が断水になった。

電気の復旧は早く2日後。
上水は2週間後。
下水は1ヵ月後。
都市ガスは1.5ヵ月後だった。(完全復旧まで)

海岸線近くの都市であるため、砂礫地盤による「液状化現象」が至るところで起き、
地中の配管は大きな被害を受け、復旧に時間がかかった。

国道や海岸線沿いの道路で土砂崩れがあり、一時通行止めがあった。
海岸線沿いはそのまま通行止めになり 、2010年に迂回するトンネルが完成した。

日本一海に近い「青海川駅」では斜面が崩壊し、線路が埋まった。

柏崎・刈羽を車で走っていると、築年数の経った家の1階が崩壊し、
つぶれている状態の家をよく見かけた。

液状化もあったのかもしれないが、多くは

「地震に耐える耐力壁が少なかった」

「耐力壁の施工(金物の取り付けなど)が不十分だった。」

ことが原因だと思われる。(熊本地震も同様)

柏崎の街中のデパート「フォンジェ」の入り口。
液状化で地盤が下がってしまったことがわかる。

立ち入ることが危険なことを示す「赤紙」が張られている。

当時実家に住んでいた妹から

「たくさんのボランティアの人たちや自衛隊の人にとてもお世話になった。」

という話を聞いた。

そんな経験があったからか
東日本大震災が起きたときは復興ボランティアに何回も参加した。

「なにか役に立てることがあれば。」

という思いだったが、

もしかしたら無意識的に、

「中越沖地震の際に受けた恩を返したい。」

と思っていたのかもしれない。

ーーーー

10年経った今となっては、不思議なもので

建築士になり、

耐震計算など住宅を設計する仕事をしてご飯を食べている。

今は、中越沖地震で「全壊」となり、その後耐震リフォームをした相方の実家に住んでいる。

「半壊」となった僕の実家の壁のクロスは地震のときにやぶれたままだ。

(吹き抜けに面した壁に集中してやぶれが起きている。
 床のない吹き抜けの壁には地震力が集中してしまうことが体感としてわかった。)

こういう言い方は不適切なのかもしれないが、

中越沖地震で被害を受けたことがとても大きな経験値となっている。

すべては経験。

あの日の最悪であった体験は、今日の生きた力になっている。

新築を考える際にどうしてもおざなりになってしまう「耐震性」。

しかし、それをおざなりせず、真面目に考え、

計算によって得られた安全性を持った家を建てることが、

万が一、地震がきた際に家族を守ることにつながる。

※地震による直接的な被害(倒壊→圧死)だけでなく、
 修復のための費用などの二次的な被害も含む。

時間が経つとどうしても忘れてしまう。
(それは人間の長所なのかもしれないが)

しかし、節目節目であのときを思い出し、

明日を生きるための力に変えていこう。

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新潟観光大使。13『柏崎、どんGALA祭り!』

ゆうです^^

7月16日に柏崎で開催された

「どんGALA祭り!」

に行ってきました。

どんGALA祭りとは、
ーーーー(どんGALA祭りHPより)ーーーー
どんGALA!祭りは、1999年に観光協会からの要請で誕生しました。
『ルーツの高知をしっかり学ぼう!真似がふる里と練れ、定着するはず。』との考えを持ち続けて参りました。
そして、今では類を見ない程に行政、商店街がしっかりと柱となり羨まれるプロデュースが可能になっています。
駅前通りから本町までの交通規制で、街中に鳴子が鳴り響く『どんGALA!祭り』全国共通『よさこいキー』で共に遊びましょう。
ーーーーーーーーーーーーーー
柏崎のゆるキャラ「えちごん」のドンがらメダル。
なかなかかわいくて評判は良い♪

どんがらカーとともに準備は進んでいく。

始まった!
(恥ずかしながらどんがらを見るのは実は初めて)

鳴子の音が良い感じ^^
みんなとても楽しそう♪

この日は朝から大雨で午前の部は大変だったようだが、
お昼過ぎには雨はやんでくれた♪

御侠衆どんがらカー♪

出店も出ていて楽しい^^

お疲れ様でした!

一回の演舞はおよそ10分くらい(かな?)。
3会場あり、いくつものチームがそれぞれの会場を行ったりきたりで踊りまわる♪

旗振りいいね!

実はこの祭りの実行委員長(?)が仲間のまさ♪
高校生のときからずっと運営の手伝いをしてきたそう!
現地ではまわりからとても頼られていて格好良かった^^

はっぴカッコ良い!
お疲れ様でした!

アゲアゲの掛け声も演舞の華♪

祭りを見ていたらちょっと踊りたくなってきました♪

一生懸命楽しそうに体を動かしている人たちを見ると

こちらもとても刺激をもらいますね!

数年後には、「踊る阿呆♪」になっているかも!?

やりたいことは膨らむばかり^^

【おまけ】

柏崎市のウェブデザインオフィスsho.DESIGNWORKS(ショウデザインワークス)さんがつくられた「どんGALA祭りの前夜祭ムービー」がとても素敵です♪

かっこいい!

来年は会場でお会いしましょう^^!

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いなか日記。33『家の植物_7月とスーパーせんべい。』

ゆうです^^

7月も終盤。新潟ももうすぐ梅雨明け(もう明けた?)です。

夏を彩る主役のひとり。トンボ君。

我が家の庭では7月もいろいろな花が咲きました。

アガパンサス(紫君子蘭)。
梅雨の時期にさわやかな小花を星型に咲かせる。

百日草。
なんか村上隆の花みたい。

色とりどりに鮮やかな花が咲く。
花火の時期が近いことを思い出す。

西日を遮るゴーヤのグリーンカーテン。
(夏本番までに間に合ってくれ!)

合歓(ねむ)の木も花が咲きました。

この時期いろいろなところで見かける。
ピンクのわたのような花が独特。

おまけ。
我が家のスイカ畑は、防タヌキモード突入!
お盆に従兄弟たちとみんなで食べよう^^

ーーーー

さてさて、みなさんは

「スーパーせんべい」

なるものをご存知でしょうか。

正式名称は「彩のさくさく」。梅林堂(埼玉)。
相方が会社の先輩からのお土産で2枚だけもらってきた。

写真は梅林堂HPより

ーーー(梅林堂HPより引用)ーーーーー
その名の通りサクサクと、口の中で軽やかにほどけていく粒餅米。
それは想像をはるかに超える繊細さで、おせんべいの常識を覆す新食感です。

この食感を叶えるには、米が硬くならないよう結着させねばならず、実はそれは至難の業。
梅林堂では3年もの試行錯誤を経て、米を潰さずバラバラにもならない、ギリギリの強さで成形する独自の技術を生み出しました。
ーーーーーーーーーーーーーー

これがスーパーせんべい!
直径7cm、厚さ1cmほどでお米の粒がそのままついている。

一口食べて



「なんじゃこりゃー!!」

と頭の中で革命が起きました。

まず、食感が斬新!

「カリ!」

ではなく、

「サク、ぱらぱら、、ふわ~!」

感動です。

とても繊細です。

おもわず目をつぶっていました。

そして、

味も本当にうまい!!

「味付けがいい」というよりも、

「素材の味のまま」

「出汁の味そのまま」

表面積が大きいせいか、

食べ始めより、食べ終わりのほうが味が濃くなっている!

あまりに感動して、

気づいたらオンラインサイトで追加購入していました^^

口に入れると米つぶがぱらぱら、はらはらと口の中で踊る。

透かして見ると、本当に最小限で米つぶ同士を止めているのがわかる。

先日、注文したものが届きました。

「しょうゆ」

「うましお」

「あおのり」

「こんぶ」

の4種類。

どれも甲乙つけがたいですが、
「しょうゆ」を押さえ、一位に輝いたのは、、、

ジャラララララ、、、、、、

ッダン!

「こんぶ」!!!

みなさんも機会があればぜひ食べてみてください^^

面白い食感なので
贈答用にもいいかもしれませんよ♪

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ケンチク探訪♪ 03-3『夜の俵屋とアーネストスタディ。』

ゆうです^^

俵屋ブログもその3へ。

竹泉の間も夜が更けてきました。

雪見障子を上げると、文机の前のはめ殺し障子と下端のラインがそろいとてもきれい。

部屋の隅で光る行灯照明。


部屋の天井照明も幾何学的で有機的。
照明やアメニティーなど備品の多くは女将の佐藤年さんの選定によるもの。

ーーーー

俵屋には室以外にも素敵な小室が点在している。
前回紹介した「庭座」もそのひとつ。)

それらを探索するのも、俵屋に泊まったときの大きな楽しみ。

再び廊下へ。

俵屋は陰影が濃い。
自然と採光と外への視線が遮られ、
廊下にいても現実世界から切り取られたような不思議な感覚におちいる。

そしてさらに、照明を額の正面からではなく、上の脇から照らすことで、
額の影が塗り壁にとても強く映し出されていた。

ーーーー

坪庭の藤には蝋燭の明かりが灯されていた。

廊下を進み、坪庭の裏側にある「ライブラリー」へ。

ライブラリー手前の「ラウンジ」。
俵屋の中でも数少ない比較的パブリックに使用することができる空間。

正面の飾り棚には琵琶のような楽器が。
月明かりに照らされる琵琶はとても中国を思わせる雰囲気があった。

低くやわらかい入り口をくぐるとライブラリーへ行ける。

一人か二人が限界の極小の図書室。
繭のなかにいるような空間で、ここからも切り取られた自然が望める。

ライブラリーから入り口を見る。
こちらを見ると洞窟の中にいるよう。

ーーーー

廊下に掛かる一輪挿し。
絶妙に美しい。

ーーーー

続いて、愉しみにしていた「アーネストスタディ」へ。

女将である佐藤年さんのご主人のアーネストサトウ氏の書斎。
前回宿泊した際はここで佐藤年さんご本人に挨拶ができた。

俵屋の中で異彩を放つひときわ洋風な部屋。
建築や芸術に関する本が並ぶ。
(時間があればこの部屋ですべて読みたいほどでした。)

ワークデスク。
下に俵屋のT入りゴミ箱が。

書斎の奥を望むと、一段下がっている五角形の小部屋が。

五角形のカウチソファコーナー。
(個人的にはあまりなじめず、)

カウチソファから。

窓には一面の緑が広がる。
この部屋は2階にあるのだが、植栽の工夫で地上にいるような錯覚を起こす。

これはなんでしょう?

木製の万華鏡でした。
円柱型のユニットをはめ込み、内臓のライトで照らして見る。
アナログな仕掛けや飾りの動きが面白い。

前回この椅子に座った際に、

「なんだこの包まれるような座り心地は、、 」

「今まで座った中でダントツに心地良い、、」

と感じ、「いつかこの椅子を手に入れたい!」とまで思ったのですが、
あとで調べたら超高額のブランドイスだったことがわかり諦めました。

買えない分、今回もたっぷりと堪能してきました。

(撮影相方)

手が触れるこの部分が「クマの爪」のようで触っていてとても親しみがある。
腰の角度といい、低さといい、包まれ具合といい、唯一無二の椅子。
大げさに言えば「母の愛情」のような包容力を座っていて感じました。

ーーーー

(前回宿泊時の様子)

柔らかい朝日が入り込む竹泉の間。
なにもしていないのにあっという間に時間が過ぎた。

前回の宿泊は11月。紅葉のきれいな時期でした。

朝の俵屋は夜とは別人のよう。
凛と緊張した夜の空間が、やさしく暖かいお見送りの空間に変わっていた。

ーーーー

今回もチェックアウトの11時までゆっくりと俵屋を堪能させてもらいました。

「今度来るのはいつでしょう。」

「今度こそ20年後じゃない?」

なんて会話をしながら、

(そんなこと言っていて、もしかしたらまたすぐに来れるんじゃないか?)

と、淡い期待を胸に秘め、俵屋を後にしたのでした。

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ケンチク探訪♪ 03-2『俵屋「竹泉の間」。』

ゆうです^^

「俵屋」宿泊記その2です。

到着と同時に出してもらえる「わらび餅」。
本わらび粉を使った透明でない本物のわらび餅。

俵屋来訪は実は今回が2回目。

前回訪れたのは1年半前で

「三十路の誕生日記念」+「一級建築士の試験お疲れ様ご褒美」として、

初めて俵屋に訪れたのでした。

そのときは、

「次に俵屋に来れるのは、10年後か20年後か、、」

なんて話をしていましたが、予想に反してすぐの来訪となりました。

やっぱり素晴らしいものは掛け替えのきかないものですね。

前回11月に来た際の坪庭。

椿がシンプルに活けられていた。
あまりの簡素さに身が引き締まったのを思い出す。

ーーーー

さて、

廊下からいよいよ室内へ。

前回泊まった「竹泉の間」を今回も選んだ。

庭と部屋がセットで現実から閉ざされたような空間。
別の世界に来たような感覚があった。

初めてこの部屋に来たときに、

「とても緊張した空間だ」

と感じた。

緊張とは決して悪い意味ではなく、

むしろ、

「緊張」と「落ち着き」

は対義語のようで同義語なのかもしれないと思うほど、
緊張していて落ち着ける空間だった。

澱がろ過されるような、
日常的な思考がなくなり「心が整う」といった感じか。

8帖+次の間4帖ほどの室内が二人でゆっくり過ごすにはとてもちょうど良い。

次の間の文机。
「椅子」があるとそこは「居場所」になるということを教えられる。

ちょうど7月は相方の誕生月で素敵な「くす玉」を頂いた。

過不足ない設えが良い意味での緊張感を生む。

とても華奢な「雪見障子」。
張り詰めた設計。いかに攻められた空間かが伝わる。

閉ざされた庭。現実世界から切り取られたよう。

鉄筋コンクリート造のおかげか騒がしい京都の中心部にあっても
室内は驚くほど静かで音がない。

漆塗りの肘掛。手触りがとても良くずっとさわっていられる。
漆には吸湿性があるらしく、プラスチックなどとは違い、
手を滑らせてもつっぱらず、柔らかく、とても手になじむ。

漆塗りされた襖戸の框。手に優しく、そしてとても細い。

木肌が残された面側柱(めんかわばしら)。
建具の鴨居が曲面にもきれいに納められている。

ガラス戸と障子の間にはカーテンが収められていて、
すべてを閉めることで断熱性を上げる工夫がさりげなくなされている。

テイクフリーのアメニティーに浮かれる相方。

高野槙(こうやまき)の浴槽。
柔らかく温かい。
フタを開けるとすでに適温の湯がいっぱいに張られていた。

京都には「洗い屋」と呼ばれる職人さんがいるらしく、
普段の洗浄では落ちない汚れを
数年に一度、専門的な方法で洗い、きれいに仕上げなおしているそう。

「洗い屋」のくだりはこちらの本より。
なんと作者は「村松」さん。ちょっと嬉しい。

夕飯も素敵でした。
食の詳しい話は相方が後日ブログで書いてくれる(はず)。

俵屋の布団は厚い。
女将こだわりの材料で作った寝具。
食後に次の間でほうじ茶と甘味を頂いている間に仲居さんが準備してくれる。


浴衣のほかにパジャマも用意してあるのが寒がりの僕にとってはとても嬉しかった。

ーーーー

朝を愉しむため夜は早めに寝て、早朝5時に起床。

電気をつけずゆっくりと時間の移ろいを愉しんだ。

俵屋特製「シェスタマット」。
うたた寝するにはちょうど良い感じ。

木漏れ日がとても良い雰囲気。

今回もとても素敵な時間を過ごすことができました。

ありがとうございます。

ーーーーおまけ。

竹泉の間の平面スケッチ。

【追記】
相方が俵屋のブログを書きました♪
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ケンチク探訪♪ 03『京都「俵屋旅館」。』

ゆうです^^

先日の京都旅行の際に「俵屋」に泊まってきました。

建築的な目線から日記を書いてみようと思います。

長くなるので今回は部屋以外のお話を。

俵屋見取り図。
敷地内に庭と部屋が混在していて、
それぞれの部屋ごとにプライベートな庭が眺められるようになっている。

「俵屋」は京都にある江戸時代から続く旅館で

政界人や海外の著名人も定宿にしていたという話も多く、

建築的にもおもてなし的にも素晴らしい日本を代表する旅館です。

僕は日本一の旅館だと思っています。

ーーーー

素晴らしい建築は、「動線」から楽しめるものです。

フランスの建築家のル・コルビュジエも、

「建築的プロムナード(散策路)」

という言葉を残しています。

俵屋のプロムナードはとても素晴らしいものでした。

7月は祇園祭の装いの玄関。
家紋の入った暖簾と番傘が迎えてくれる。

少し薄暗い玄関をくぐると、、

ぱぁーっと明るい露天の空間が。
そしてまた明るさを落とした室内へ。

打ち水された床に心遣いを感じる。

受付前の「迎え屏風」。
様々な設えが季節ごとに替わる。

また少し薄暗い室内を進むと、その先には、、

日の光を浴びてひときわ明るい「坪庭」が。
むしろこれは「床の間」と言っていいのではないだろうか。
それか「舞台」か。

7月は藤の木が活けられていた。

この動線の中での「陰」 から「陽」への連続的な変化、
また、「屋外」から「室内」への連続的な変化が大きな感動を呼び起こす。

宿泊室へと廊下は続く、、

右側から光が漏れる。

そこには、戸や壁がなく外部と内部が曖昧になった空間が。

その先になにやら小ぶりな個室が。
入り口の高さは1.5m弱でにじり口のよう。

「庭座」と呼ばれる小部屋。
庭とは薄いガラスで仕切られる。
音のしない自然と接することができる非日常的な空間。

その先はいよいよお目当ての部屋へ。

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新潟観光大使。12『出雲崎、天領の里の夕日。』

ゆうです^^

今日である家の図面が仕上がりました!

きりがいいので少し早上がりをして海岸線夕日ドライブへ♪

今日は特段に夕日の絨毯が輝いていた。
湿度が高いせいか赤みが強くより黄金色に近い。

職場から海へ向かい、自宅まで帰る道沿いに
「越後出雲崎天領の里」という道の駅があります。

ーーーーーー(天領の里HPより引用)ーーーーーーーーーーーーー

出雲崎は、元和2年(1616)佐渡からの金銀の陸揚げ港として
越後で初めて代官所が置かれた幕府直轄地「天領」となりました。
天領の里は、旬の海の幸をお楽しみ頂けるレストラン『陣や』、
野外で憩う『日本海夕日公園』、観光スポット『夕凪(ゆうなぎ)の橋』等が
あり出雲崎の一大観光拠点となっています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

休日や夏休み期間は大勢の人で賑わう。
ツーリングのバイクの集団などもよくここで休憩している。

「夕凪(ゆうなぎ)の橋」 の奥に沈む夕日。

濡れた足跡があった。
海に入っている学生もちらほら。

なかなか幻想的。

 海水は透き通っていた。
(写真ではわかりづらいが)

海と夕日とヒコーキ雲。

とても素敵な時間でした。

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いなか日記。32『マタ旅「京都旅行」へ②。』

ゆうです^^

マタ旅「京都旅行」その2です。

いよいよ目的地に向かいます♪

さて、12時に京都に着いたのですが、目的地に入れるのは15時から。

その間に少し観光を♪

清水寺などメジャーな観光地に行ってみようかとも思いましたが、

混んでそうだったのでやめて

相方の希望で安産祈願の「市比賣(いちひめ)神社」へ。

なんと神社の門の上に マンションが!
こんな神社はじめてやー!!

市比賣神社はなんでも「女性の願いをひとつ叶えてくれる」んだとか。
境内も女性ばかりで男は僕ひとり。

ーーーー

無事に安産祈願を終え、次は川床が出ているという三条のスターバックスへ。
(相方リサーチより)

こんな感じだった。
雨だからか川床は夕方からのオープンで、お昼時は閉まっていた。
川原で遊ぶ大学生が楽しそうだった♪

スタバは満席だったため 、近くの「小川珈琲」へ。
目の前でドリップしてくれたり、カップがかわいかったり、店内が落ち着いていたりとても素敵でした。

ーーーー

ゆっくりしていたら15時をまわってしまい、
ぼちぼちと今回の旅行の目的地へ。

目的地のある麩屋町通。

目的地へ到着!

今回のたびの目的は「俵屋でゆっくり^^」だったのでした♪

チェックイン可能な15時から、翌日のチェックアウトの11時まで、
ゆーっくりと二人の時間を俵屋ととも過ごしたのでした。

俵屋の様子はとてもマニアックで長くなってしまうので別の記事でまとめようと思います。

さわりに数枚だけ。

 

最高の時間が過ごせました。

「子供が生まれる前の最後の旅行になるなら、二人でしかできない旅がしたい。」

そう思ったときに、ふっと思いうかんだのが「俵屋」でした。

俵屋には、建築も料理も時間も空間も、

二人がゆっくりリラックスして過ごせる設えが用意されていました。

夫婦の良い思い出になりました。

ーーーー

翌日は千本鳥居で有名な「伏見稲荷大社」へ。

月曜でもそこそこ混んでいた。(特に外国の方が多かった!)

うわさの「おもかる石」
願い事を浮かべながら持ち上げてみて、石の重さが想像より軽ければ願いが叶うんだとか。
(想像以上にめっちゃめちゃ重かったです、、)

So フォトジェニック!
これは「外国人が選ぶ日本一の観光スポット」になるわけですね^^

頂上までずっと鳥居が続いているそう。
坂がきつかったため、僕らは割と手前で折り返してきた。

浴衣姿のひとも多く、観光地を彩る。
この日は蒸しててとても暑かった!
祇園祭ももうすぐ。

ーーーー

14時ごろの新幹線に乗り、19時ごろに柏崎に着きました。

弾丸の京都旅行でしたが、
ゆっくりと素敵な時間が過ごせました^^

ななさん、宿や電車の手配ありがとう。
みおもの体で頑張ってくれてありがとう。

良い思い出になったね!